体調管理も仕事のうちっておかしくない?

 

っていう意見いい加減飽きてません??(笑)

 

Google先生で、「体調管理 仕事」って調べると、今や、

「体調管理も仕事のうち!」

という内容よりも、

「体調管理も仕事のうちというのはおかしい」

「体調管理も仕事というのならば、その時間も給料をよこせ」

「インフルエンザでバイオテロおこしてやろうか」

などなどの内容が上位に来ている。

 

まあ、確かにその意見も分からないでもない。

 

確かに

「体調管理も仕事のうち」

という文字面だけ見ると体調管理と仕事という一見性質の別々なものがつながっているため、それはおかしいでしょ、と感じてしまう。体調管理はあくまで自分の中のことだからだ。

 

これが、

「経費精算も仕事のうち」

「社内業務も仕事のうち」

だったらしっくりくる。経費精算や社内業務は業務と直結しているのが想像できるからである。

 

ただ、この表現の問題は、単に労働者はもっと権利を持つべき!とかパワハラ反対!とかそんな古い習慣やめて新しい流れにのろうぜ!とかそんな単純なものではないと感じている。

ここに根本にあるのは、やはり前回同様「仕事とは何か。」という認識が統一されていないがゆえに起こっており、つまり、日々のどこまでを仕事と定義し、どこから非仕事とするかという問題だと思う。

 

もし、「体調管理も仕事のうち」と言われたことに対して、「は、意味わかんないし!!んじゃ金をくれ!!」っていうような人々はおそらく、仕事=給与をもらうためだけの手段として定義しているのかもしれない。

「確かにその通りだな、他の人にも迷惑かかるし。。。。」なんて感じる人は、仕事=周りの人と協力することのような捉え方をしているかもしれない。

また、「体調管理も仕事なのは当たり前!いいパフォーマンスを常に発揮できる状態にしておくことが大切!」と考える人は、仕事=生活とまでなっているかもしれない。

ここで重要なのは、全てが個人個人の価値観から導きだされている考えなので、そこに良いも悪いもないということだ。

 

つまり「対象管理が仕事のうち」という表現は特に問題ではない。

仕事という定義がお互いにされておらず、宙に浮いている状態で安易に仕事、仕事といっていることが問題なのである。そのために、不満が募り、ストレスに満ち溢れる状態に陥ってしまっているような気がしてならない。

そして、この問題は過剰労働、残業問題などにも当てはまってくると思っている。

 

自分が少しでも、仕事環境についておかしいと思っていたら、不満をぶつける前にとくにかく一度、仕事とはそもそも一体全体なんなのかということも考えてみたらなかなか興味深いかもしれない。

 

Youtuberとは言いますが。

Youtuberは仕事とは認めないっ!!!

 

なんて意見もちらほら聞こえる今日この頃。

どうも、「Youtuberは楽して稼いでる」だの、「世間のためになっていない」だの、いろいろな言われようをしているようだけど、正直に言おう。

 

どーーーでもいいわと。

 

仮に

「はい、おめでとう!今日からYoutuberは正式な仕事として認められましたよ!!」

となったところで、何か変わるかと言われたら、さして何も変わらないだろう。

 

「いや!世間の評価が変わって扱いも変わるかもしれないじゃないか!」

と言うかもしれないが、家が借りにくいだの、お金が借りにくいだの、カードが作りづらいだのというのは、決して世間から認められていないからでない。単純に収入の安定性が低いからと実績がないからだ。

 

という以前に、そもそもこの手の話になると、

「そんなことはない!Youtuberだって努力してるし、工夫している!」

「世の中には僕たち私たちを求めている人だっているんだ!」

「そんなこと言うんだったら自分たちだってやってみればいいじゃない!!」

「「「だからYoutuberは立派な仕事なんです!!!」」」

なんて反対意見が出てくるが、お門違いも甚だしい。

 

この手の話題は近年非常にホットな話題のため、活発に議論がされているように見れるが、実際のところ、議論の土台にすらあがっていないと思っている。

 

なぜか。

 

それは「いったい仕事とは何なのか」という大前提の定義が済んでいないまま、「仕事だ!」「仕事じゃない!」という話に進んでいるからだ。

お互いに前提条件の認識が終わっていないのに議論が始められるわけないだろう。

 

それは、一方は「りんごってすごい美味しいよね!果物の中で一番おいしい!」と主張しているにもかかわらず、「そんなことない!りんごは赤い!そして丸いじゃないか」といっているようなものだ。

りんごを食べ物として議論するのか、見た目として議論するのかお互いに統一しないまま進めたら話が噛み合うわけがない。

 

仕事というものを、単にお金を稼ぐための手段という立場にたてば、Youtuberは立派な仕事だ。ギャンブルだって仕事になりうるし、家の手伝いもお小遣いという対価をもらえば仕事になりうる。

 

しかし、あくまでYoutuberを仕事を思っていない人は、仕事に大してもっと込み入った定義をしているのだろう。どんな定義をしているのかは、あまり興味がないので詳しくは言及しないけども。(俺はYoutuber(もしくはそれに値する働き方)なんて認めないぜ☆って人がいたら是非その価値観お寄せください。)

 

これについては、どちらがいいと言う話でも悪いという話でもない。

単純にお互いの価値観の共有ができていなく、その状態で議論を始めてしまっているだけだ。

そう言う意味で「Youtuber(他にも最近出てきたような働き方)は仕事か仕事じゃないか論!」は全く生産性がないと思っている。テーマにしやすいからいろんな人が取り上げてるだけだろう。

だったら、「そもそも仕事とは何なのか」を徹底的に議論したほうが、結果的に何か得られるんじゃないかな。

 

というわけで、この手の話がでたときは、

「あー、また何もわかってない人が議論っぽいこと始めちゃったよ。まったく暇なんだろうなぁ。まあ今日も1日頑張って仕事するかぁ。」

などと思ってるくらいがちょうどいいんではないだろうか。

逆説の説得力

 

逆説的な表現というのは時として非常に大きな説得力を生み出す。

 

例えばゼクシィ。

ゼクシィと言えば、誰もが知ってる結婚情報サービスである。

もちろんゼクシィ側からすれば、結婚する人が多ければ多いほどビジネスにつながっていくため、世の中の人がいかに結婚するかを考えていく必要がある。

 

その中でゼクシィが行なったことの1つ。

下のキャッチコピーを使ったCMを流した。

 

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」

 

なんとまあ、見事なキャッチコピーである。

 

決して、「結婚したら幸せになれるから結婚しよう!」と単純なことは言っていない。

逆説的な表現にもなっている。

 

しかし、どうだろう。

そんなことを言われると、どこかで「よし、私も結婚しよう!!」などという気持ちが沸き起こってこないだろうか。

 

これがもしも

 

「結婚って本当に素晴らしいよ。好きな人とずっと一緒にいれるし、もしかしたら子供ができることもあるかもしれない・・・。辛いことも苦しいこともきっと待っているけど2人だったらそんなものも乗り越えられる!結婚こそが幸せ!!さあ貴方も結婚しようよ!!」

 

という風に言われたら、

 

「は?別に今の時代、いくらっでも娯楽なんかあるんだし、一人でいても全然楽しいし。幸せになんか簡単になれるし。てかむしろこの時代に結婚って(笑)お前の頭は旧石器時代かよ(笑)」

 

なんて反論されかねない。

 

しかし、

 

「確かに今の時代、ネットも発達していてSNSなんかもあるから誰とでもいつでも繋がれる。そんな時代において、わざわざ結婚なんて手段を選ばなくても、寂しい思いはしないだろうし、楽しいことはいっぱい見つかる。幸せにだってなれるかもしれない。でも、そんな時代にいるからこそ、結婚を形式的なものではなく!!本当に愛する人を暮らしたいと言う気持ちだけで!!私は結婚を選ぶ!!!」

 

という風に言われたら、どこか説得力がわいてこないだろうか。

というより、熱い何かが込み上げてこないだろうか。

 

 

逆説的な表現には大きく2つの効果があると思っている。

 

まずひとつは、先に欠点を自分で言ってしまうことによって、相手からツッコまれるのを防ぐということ。

「結婚することが幸せ」と言おうものなら、「別に結婚以外にも幸せはあるし」という

ツッコみが必ず入る。そういうものである。

しかし、「結婚することで幸せになるとは限らない、しかし私は結婚を選ぶ!!」と言われたらもう何も言いようがない。よくも悪くもだったら勝手にしてくれと思うだろう。広い意味での予防策のようなものだ。

 

もうひとつは、そこになにか大きな真理がありそうなことを匂わせることができるということ。

「結婚自体に意味はない、でもそれでもあえて私は結婚する!!」ということで、結婚することに意味はないと言っておきながら、実はそこに大きな意味があることを匂わせることができる。誰もまだ到達していないような重要な意味。そう、真理があるのではないかと。

ここで、別に本当に意味があるかどうかは大して問題ではない。そう思わせることができるということが重要だったりする。

 

ここまで考えると、やっぱり

 

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」

 

というキャッチコピーはとても秀逸だなと思う。

さすがゼクシィ。さすがリクルート

 

 

・・・と思っていたが、同じような表現技法を使った超有名人が過去に存在していた。

 

その名もサルトル

教科書にも載っているため誰もが一度は名前を聞いたことがあるだろう。

 

彼は、

「人生に意味などない」

と考えながらも、

「でもだからこそ社会的な運動(これがよく聞くアンガージュマンということだが)に参加しようではないか!!」

と訴えていたようである。

 

こう言われると何か熱いものが込み上げてくるだろう。

 

(この辺りの説明については飲茶さんの「14歳から哲学入門」という本にこれでもかというほどわかりやすく書いてあるので、気になった方はぜひ読んでみてほしい。)

 

 とまあ、逆説的な表現方法を使うと、非常にお手軽にそれもなんとなく頭よさそうな感じで発言することができる。

(例)

「この案件に取り組んでも大したリターンはないと思われます。でもだからこそあえて取り組む意味があるんじゃあないでしょうか。」

「ボランティアなんて、結局何も自分に返ってこないし、ただの自己満足でやっても意味ないよ。でもだからこそやることに価値があるんじゃないだろうか。」

 

ただ使い方を間違えるとただの意味不明な言い訳になってしまうので、それは気をつけてほしい。

(例)

「勉強なんてしたほうがいいに決まっているし、とても大事だ。でも!だからこそ!私は勉強なんてしない!!!」

「恋人なんていたほうが楽しいに決まっているし、いつでも作ることができる。でも!だからこそ!恋人なんていらない!!」

 

↑超おすすめな本。哲学って気になってたんだよね、という人は是非読んで見てほしい。

プロレス論。

 

プロレス。

 

それは、スポーツであって、スポーツでない。

格闘技であって、格闘技でない。

エンターテイメントであってエンターテイメントでない。

 

そんな矛盾をはらんでいてなお魅力に溢れてやまない。

それがプロレス。

何がそこまで人を惹きつけるのか。。。

 

とまあ意味のあるようなないような紹介になってしまっちゃっているけれども、

今年(2017年)の1.4にてオカダ・カズチカVSケニー・オメガ戦で魅了されてすっかりプロレスファンとなってしまった僕だけど、およそ1年間プロレスを見ていて何となくプロレスの素晴らしさが分かってきたような気がする。

 

よく、プロレスは八百長だの、本気でやっていないだのといった批判を受けることもある。どう考えても避けれる技とか、どう考えても相手に協力してもらわないとかけれない技とかは確かに存在する。最終的に振り返ってみるととてもいい感じに勝敗が決まっていたりもする。

しかし、ここで、実際のところどうなのよ?ということについて議論するつもりは全くないし、それを議論すること自体がナンセンスだと思っている。

プロレスは最早そんな次元での勝負ではない。

人それぞれプロレスに対する価値観や考え方はあると思うし、好きになって1年そこらのペーペーが何分かったようなこと言ってんだというのも承知の上で言わせてほしい。

プロレスは「対戦相手」「客」「会場」全てと戦っているものであると。

 

そしてこの点が他のどのスポーツとも決定的に違う点じゃあないかと思う。

例えば、野球の試合中、観客を喜ばせるためだけに、敢えて満塁にしてみたり、

サッカーの試合中、わざと緊迫感を出すためにPK外してみたり、

そんなことは絶対にしないだろう。

 

その点プロレスはどうか。

相手に勝つのはもちろんのこと、そこにいる観客、そして会場にも勝たなければいけない。いかに観客の支持を得るのか。いかに観客を喜ばせるのか。いかに会場の雰囲気を盛り上げるのか。

 

そのためにも、相手の技は受ける。派手な技にもかかる。受けて受けてぼろぼろになっても耐える。倒れても倒れても何度も立ち上がる。

そりゃあ会場は当然盛り上がるだろう。

観客としても、テンションが上がらずにいれるわけがないだろう。

だって、その姿がとてつもなくかっこいいだもの。

フィニッシュをかける直前の、決まるのかっ!決まらないのかっ!といったはらはらした気持ち、フィニッシュが決まったときの、うおおおおおっしゃああ!!!!といった感動は「まあとりあえず実際に見て感動を味わいなさい」としか言うことが出来ないくらい魅力的なものである。

まあ、好きなものだったらなんでもそう感じてしまうのが人間といったらそれまでだけれども。

 

逆に言えば、対戦相手に勝っても、それが観客、会場に響かなかったら、(個人的なプロレス感からいうと)プロレス的には勝ちって言っていいのか、微妙なところ。

 

 

対戦相手に勝つことだけじゃない。そこにプロレスの魅力がつまっている。

 

最近では、「プ女子」なんて言葉も聞かなくなっているくらい、プロレスが男女問わず浸透してきていると思う。

この機会に一度、プロレスなんてものを見てみるのはいかが?

 

ビールはメタル

 

先日、渋谷のお気に入りのビアバーでビールを飲んでいたところ、ふとした考えが頭に浮かんだ。

 

「ん・・・?もしかして、ビールってメタルじゃないか!?」

 

この考えを聞いて、「確かに!その通りだ!上手いこというなあ。」なんて人がいたら是非ともお友達になって欲しいものだ。いや、なってください。

 

おそらくほとんどの人は、「は?何言ってんだこいつ。ビールとメタルの浴びすぎでついに頭がおかしくなったか(笑)」とか、「いや、そもそもメタルでなんだよ。え、ヘビメタ(笑)のこと?この時代に?(笑)」なんて思いを抱くかもしれない。

 

そんな世知辛い状況の中、それでも敢えていいたい。

 

そう、ビールはメタルだと。

 

日本のビールというと、どうしてもすっきりしたそれでいて苦いものが多く、だからこそ、「とりあえず生!」「ビールは喉越し!」「口で味わうんじゃねぇ、喉で味わうんだよ。」なんて考えが蔓延しているこの世の中であるが、本来ビールというお酒=すっきり、苦いというわけではない。

 

海外のビールが好きな方や、日本でも最近流行りのクラフトビールなんかを好んで飲む人(自分もそのうちの一人ではあるが)はよくわかると思うが、非常に多種多様な種類に溢れていて、多彩な味わいがある。日本でよく飲まれているのはそのうちのただ1種類のビールにしかすぎない。

 

この辺の味の違いについては、ホップがどうだの、麦芽がどうだの、ラガービールだのエールビールだの、というなかなかに込み入った事情があるが、説明するのも面倒なので野暮なので、とりあえずいろんな種類のビールが本来はあるんだなあと思っていてくれればいいと思う。興味がある方はどうぞ調べてみてください。

 

重要なのは、日本ではほとんどの人が1種類のビールしか飲んでいないということだ。

そのような状況で、「まじでビール最高!ビールがないと生きられないわー。」って言ってる人がいたら、それはつまり、メタリカしか聞いたことがないのに、「やっぱりメタルといったらメタリカだよねー。メタリカこそがメタルだわぁ。まじメタリカ最高。メタリカ聞かないとやってられないよね。」と言っているようなものだ。

いや本人がそれで満足しているのならこちらはもう何も言うべきでなないかもしれない。

しかし「確かにメタリカはものすごいかっこいいけど」と思いながらも、メタラーであればどうしてもこう言いたくならないだろうか。

 

「いや、正当派のJudasPriest、IronMaidenもすごいかっこいいから聞いてみてよ!!もっと激しいArchEnemyなんかはどう!?もういっそいいからMorbid AngelとかCryptopsyとかも聞いちゃいなよ!!!とにかくまだまだかっこいいバンドいっくらでもいるから!!!!」

と。

 

そう、ビールも同じである。

有名所でいうとよなよなエールのような正統派で香りだかいものがあったり、ギネスのような香ばしい匂いのするもの、インドの青鬼のようなこれでもかというほど苦いものがあったりする。

 それなのに、1種類のビールだけで満足してしまうとはなんともったいないことか、と。

 

また、1種類のビールしか飲んだことがないのに、ビールって苦手なんだよね。という発言を聞いたらどうするか。

つまりそれは、デトロイトメタルシティだけを見て、「ヘビメタって見た目がとりあえず派手な人たちでしょ?音もうるさいし、よくわかんないなぁ。歌詞も過激だし、結局ただ叫んでるだけだよね」って言われたメタラーはどうするか。

「うん、確かにそういう面もあるかもしれないね」と認めつつ、きっとこう言うだろう。

 

「でも、メタルっていっても聴きやすいのもいっぱいあるから!HelloweenみたいなジャーマンメタルやFairWarningあたりのメロハーなんてとてもメロディアスで聴きやすいし、StratovariusとかDragonforceのようなメロスピは日本人受けしやすいし、今はなんていったってBabyMetalがあるじゃない!!とにかく、一回聞いてみて!!!」

と。

 

そう、ビールでも同じことが言える。

ヒューガルデンに代表されるようなやわらかい口当たりで飲みやすいビールがあったり、フルーツビールなどフルーティでもはやほとんど苦味を感じないものもある。

それなのに、1種類のビールしか飲んでないのに、ビールとは苦手って思い込んでしまうのはなんてもったいないことか、と。

 

世界にはまだまだおいしいいろんな味のビールがあるというのに、知らないでひとつに収まってしまっていることのもったいなさ。逆にいうとどんどん自分好みのビールを見つけていける楽しさ。それはまるでどんどん好きなジャンルを開拓していくメタラーと同じではないだろうか。

 

そんなことを思いながら、その日も美味しいビールを飲み幸せを実感していました。